事務所案内
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商号 笹島社会保険労務士事務所
住所 〒151-0053
東京都渋谷区代々木2-26-11 風蓮人201
最寄駅 JR・大江戸線「代々木駅」より徒歩5分
電話 03-3376-5633
FAX 03-6381-6167
得意な業種 飲食業・小売業などのサービス業
当事務所のクライアントは、飲食業・小売業など、「企業の現実」と「法律の原則」のギャップが非常に大きいサービス業が、全体の9割以上を占めています。


代表笹島敏邦(ささじま としくに)のプロフィール

1965年生まれ、埼玉県出身

東京工業大学工学部附属工業高等学校(現:東京工業大学附属科学技術高等学校)卒業

産業能率大学卒業


●20歳代前半の頃

大学にも行かず、フラフラしていました。(親孝行?のために、30歳過ぎてから大学を卒業しました)
それでもまじめに働こうと、大手飲食店系企業に就職。入社当時、この会社ではTSUTAYAを何店舗かオープンすることになっていて、たまたま私が友人のレンタルレコード店を手伝っていたこともあり、「その何店舗かをオープンさせること」「そのうちの1店舗を店長として運営すること」が私の役割となりました。

TSUTAYAの運営母体であるカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社は今のように大きな企業ではなく、FC店のオープン時にも、創業者の増田宗昭氏がわざわざ応援にいらしてくださったことを覚えています。

店舗をオープンさせることは時間との勝負になることが多く、徹夜が続くこともありましたが、特に不満に思うこともなく、「ノリ」で仕事をしていました。確かこの会社では一律20時間分の残業代が支給されていましたが(なぜだか覚えています。)、20時間で済むわけがありません。それでも疑問や不満を感じたことはありませんでしたし、仲間たちの間でも、「残業代への不満」など話に出てきたことがありませんでした。

平和でした・・・。


その後、自分の人生に影響を与え続けている人と出会いました。
テリー伊藤さんです。短い期間でしたが、非常に近いところで仕事のお手伝いをさせていただきました。

お正月に自宅でくつろいでいると電話で呼び出されたので、「何か大変なことが起こったのか」と心配して行ってみると「お茶でもしに行こうか」「・・・はい」というようなこともありました。ただ、仕事に関しては、兎に角凄い人でした。テリーさんは私のことなど覚えていないのでしょうけど、私にしてみれば良いのか悪いのか、ずーっと影響を受け続けているのです。もう35年以上も経っているのですが・・・。

「自分のしている仕事を格好良いと思う」「できないと言わない、思わない」「できない理由を探さない」「気合!」「ゆとりがあるように振る舞う(テンパらない)」などなど、いろいろなことを教わりました(感じました)。

今、「自分の仕事を格好良いと思っているのか」「最初からあきらめていないか」「いつも言い訳を探していないか」「気持ちが弱くなっていないか」「テンパった対応をしてしまうことはないか」

仕事をするうえで、いつも心掛けています。

また、テリーさんの仕事をお手伝いする中で、現在の職業(社会保険労務士)に就くキッカケを与えてくれた人物がいました。
デザインの商標登録を取得する命を受け、特許事務所とやり取りをしていたのですが、担当の弁理士さんが、「このような仕事をいつまでもしているより、何か資格を取って一生続けられる仕事を見つけた方がいい」と愛情をこめてアドバイスしてくれました。

徹夜ばかりしている私を見て、不憫に思ったのでしょう。その弁理士さんは、自分の年収まで教えてくれ、他の道に進むことを強く勧めるのでした。有難いことです。

実はアドバイスを受けた後、資格試験についていろいろ調べ、「俺には社会保険労務士という資格が合っているのでは」と思い、社会保険労務士の受験参考書を見に行ったことがあります。ただ、あまりにも分厚い参考書を見たとたん「こりゃ俺には無理だ」とすぐに諦めてしまいました。

ちなみに、それから6年後に社会保険労務士試験に合格することができました。人生、どうなるかわからないものです。

20歳代前半には、それ以外の仕事もたくさんしました。本当にフラフラしていたのです。親も相当心配していたのではないのかと思います。というか、自分が一番心配していました。「俺はどうなっちゃうのか」なんて思い、寝付けない夜も結構あったものです。

●20歳代後半の頃

住宅関連の業界新聞に就職。そこで出版局の編集部に配属されました。資格本(法律系)の編集がメインでしたが、最初のうちは「やる気のない社員」で、「2対6対2の法則」の「ダメな部類の2」に属していました。

それでも入社1年後位に、なぜか新しい書籍の編集を任されることになりました。出版局の責任者が「いつも編集補助をしているだけではつまらないだろうから、簡単な本でも任せてみよう。まあ、ダメなようだったら誰かに変えればいいし」とでも思ったのでしょう。

それで、実際にやってみると、レイアウトを考えたり、著者と打合せをしたり、デザイナーやイラストレーターに依頼したり、印刷所とやり取りをしたりと、結構面白いわけです。そして、自分が法律を理解したり、わかりやすく表現することが得意であることがわかったのです。意外でした。

「任せてみる」ことは大切なんです。

また、自分の責任で本を作ってみると、編集補助でも「自分ならこんなレイアウトにする」「自分ならこんな表現で法律の説明をする」と私事として書籍作りにかかわることができ、内容次第ではそのアイデアも採用される可能性があることがわかってきました。

この辺のところは、直属の上司の役割が大事です。ただ、「これやっといて」だけではダメなのです。

その後、新しい本を企画したり、新しい著者を開拓したりと、「宅建」や「社労士」の資格本の世界では有名な本を編集し、出版後30年以上経った今でもよく売れているようです(所属していた会社は倒産してしまいましたが、他の出版社で発行しています)。 本作りで心掛けていたことは、「できるだけ読者の目線に近づき、わかりやすく表現すること」でした。

また、覚えなくてもいいような余計な内容はを省き、できる限りページ数を抑えるような努力をしました。これは、自分自身の「参考書の分厚さに対する抵抗感」が基になっています。同じような抵抗感を持つ人が多かったのか、自分の作った宅建参考書と社労士参考書は、出版2年目で一番売れている参考書になりました。

以上のことは、どんな仕事にも通じるものがあります。現在の仕事(社会保険労務士)においても、「相手の目線に合わせ、わかりやすく表現すること」「余計なボリューム稼ぎをせずに、簡潔な仕事をすること」を心掛けるようにしています。

資格本の編集をしていると、その資格試験のことについて詳しくなります。勤めている間に、「宅建」「行政書士」「社労士」の試験に、お金も時間もかけずに、合格することができました。役得です。

また、合格する前から社労士の先生たちと接する機会が増え、「社会保険労務士」という仕事への興味がどんどん大きくなっていきました。

そして、合格。受かってしまったら「社労士になりたい」という欲求は高まるばかりです。


●30歳代前半の頃

たまたま、社労士事務所の求人を見つけて応募。採用されることになりました。本当かどうかわかりませんが、100人以上の応募があったとのこと。なぜ、採用されたのでしょう?

面接時に「将来は独立したい」と言ったことを覚えています。独立するつもりの人間を採用してくれたのですから、非常に有難い事務所です。私の中では、5年位しっかり勉強させていただき、独立するつもりでいました。

そして、15年後に独立させていただきました・・・・・。

入所後しばらくは自分の担当企業は持たせてもらえず、他の職員の補助業務をしていました。ラッキーだったのは、上司の職員が私が企業を担当するときに備え、補助業務以上のことを徐々にさせてくれたことです。後に担当企業を持たせてもらうことになり、企業に訪問したときでもテンパらず、余裕をもって対応することができました。

そのころから心掛けていることは、「まずは話をよく聴く」ということです。話をよく聴き、現状を理解・整理できなければ、適切な解決策・対応策を提案することはできません。

また、企業の歴史、企業規模、業種などによっては、「すぐには超えることができない現実」があります。いきなり原則論を振りかざしてしまうと、「前進」どころか、「後退」してしまうこともあるわけです。

この辺のところは、未熟な部分もありましたが「心掛け」だけは強く意識していたつもりです。(今は大分改善していると思っています)

当初は少なかった担当企業も徐々に増えていき、多いときは80社前後の企業を担当していました。


●30歳代後半の頃

この頃になると、仕事の量とともに質も求められるようになってきました。

それまでは「給料計算」や「社会保険等の手続き」の業務がほとんどで「スピード」や「確実性」を重視して仕事を進めていましたが、就業規則や労働時間設計などのニーズが高まり、「労働法令の知識や仕組み」を「現実の企業」に落とし込む能力が求められるようになってきました。

規則、制度などについては作る過程も大事ですが、作った後、つまりその運用が非常に大事なものとなります。会社に合った規則・制度を作成したつもりでも、運用していくと必ず不具合が見つかります。その不具合を放置せず、改善を重ねていくことによって、その規則・制度はどんどん成熟していくわけです。

したがって、規則作成や制度設計のお手伝いをする場合には、作りっぱなしではなく、継続的な支援ができるような仕事をしていきたいと、常々思っています。それには信頼関係を築くことが必要です。日々勉強です。

事務所内の責任も拡大し、マネジメント的な役割も求められるようになりました。これが非常に難しい。よくあるパターンで、マネジメントに関する学習をしたこともなく、特別な教育を受けたことがない者が、うまく立ち回れるはずがありません。苦戦の連続でした。

ただこの経験は、「企業の人に関する仕事」を職業としている私にとって、貴重な財産となっています。苦労は買ってでもした方がいいのです。

●40歳代前半の頃

事務所の法人化に伴い法人社員(取締役のようなもの)となり、いろいろな意思決定の場面に加わることになりました。これも非常に難しい。経営には人以外のこともたくさんあり、「経営のしくみ」を一から勉強しなければなりませんでした。

そして「経営のしくみ」を学習すればするほど、企業活動における「人」の重要性を、今まで以上に強く感じるようになったのです。



●40歳代後半から50歳代後半(現在)

独立。経営について全責任を負う立場になりました。

独立直後は、暇な時間が多く、「昼食のために事務所に行く」ということもありました。それから、多くの方々と出会い、多くの方たちに支えられ、12年間社会保険労務士事務所を維持することができています。

企業活動において、「人に関する課題」は無限にあります。そして、モノ、カネ、情報と異なり、AIでは解決できない課題もたくさんあります。会社の経営、そこで働く従業員に、直接的、間接的に関与する社会保険労務士の役割に、誇りと責任を感じながら、調子に乗らず、感謝を忘れず、この仕事を続けていきたいと、考えています。

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笹島社会保険労務士事務所
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